令和6年度(2024年)地域と共に「夢をカタチに」する総合学科高校
校長ブログ
校長ブログ「避難訓練で生徒に伝えたこと」
6月28日(水)に、本校で避難訓練が行われました。生徒の皆さんには、訓練後に以下のような話をしました。拙い話ではありますが、このブログにも記しておきます。
皆さんは、今日、この避難訓練にあたって、何か考えたことはありますか?
私は朝、心の中で、手を合わせました。
誰に?
今日の避難訓練は地震を想定したものでした。ですから、私は今朝、東日本大震災で亡くなった方々に手を合わせたのです。
あの3月11日、私は津波と原発事故に見舞われた南相馬市に住んでいました。南相馬市にある高校に勤務していたのです。
地震直後、授業をしていた全校生、先生方は必死で校庭に避難しました。体育館の壁の一部が崩落し、校舎内の天井もかなりの箇所が落ちました。しかし、幸い、全員が無事でした。点呼を済ませ、寒い中、グラウンドで待機していた時、沿岸部を津波が襲ったのです。
高校の体育館は、津波で亡くなった方々の遺体安置所に変わりました。次から次へと津波の犠牲になった方の遺体が搬送されてきました。さらにもう一つの体育館は自衛隊の前線基地に変わりました。
さらには、原発事故が起こり、生徒たちは全国に散り散りになりました。先生方は生徒たちの安否確認を続けました。そして多くの生徒たちがやむなく転学していきました。約2か月後、私の勤務していた高校は南相馬市から離れ、県内の二つの高校にお世話になり、サテライト校として授業を再開することになりました。
あの時を思うと、今こうして毎日学校に来てふつうに勉強や部活動ができることがどれだけ幸せなことなのか、改めて強く感じます。校長室には、こんな記念のプレートがあります。(写真参照)これは震災後、双葉翔陽高校がこの小野高校に避難してサテライト校として生活していたことの証です。プレートには双葉翔陽高校の校章と小野高校の校章があり、そしてその間に「絆」という文字が大きく刻まれています。この小野高校にも、避難してきて生活をともにした高校があったことを、皆さんもぜひ心に留めておいてください。
はじめに話したように、今日は避難訓練だと思ったとき、私は震災の犠牲者に手を合わせました。そして同時に、小野高校の生徒たちは今日の避難訓練をどこまで本気で取り組んでくれるだろうかと思いました。本日の皆さんの避難時間は短く立派なものでしたが、心の中の本気度はどうだったでしょうか。今日の避難訓練を、それぞれが防災について改めて考えるきっかけにしてください。 (以上)
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県立高校改革後期実施計画(統合に関するお知らせ))
〇 令和8年4月に小野高等学校と船引高等学校は統合する予定です。
〇 定員 総合学科 160名(4学級)
〇 場所 船引高等学校校舎
〇 校舎方式
〇 令和6年度に小野高等学校、船引高等学校に入学する生徒は、統合高校を卒業することになります。
※ 詳しくは、福島県教育委員会のHPへ クリック
学校情報
福島県田村郡小野町
大字小野新町字宿ノ後63
TEL 0247-72-3171
FAX 0247-72-6211
<e-mail>
ono-h□fcs.ed.jp
(□には@が入ります)
アクセス
JR磐越東線小野新町駅下車
徒歩約20分
JR小野新町駅・磐城石川駅
より福島交通バス利用
小野高校バス停下車